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Seminer

過酷な労働環境を経て健康指導師になった訳とは?

都内在住 30代男性の場合

都内在住の30代男性Hさんは、数年前まで郷里の四国でサラリーマン生活を送っていました。機械のエンジニアをめざし、車関係の企業に就職、整備の現場に配属され一生懸命働きます。しかし勤務は、過酷でした。

朝は毎日5時半起き。8時ごろ現場に入ると、一日中排気ガスとエンジンオイル、ダストや騒音にまみれながら夜10時ごろまで働き通し。昼休みやティータイムらしき息抜きはありますが、家に帰るのは夜中の12時ごろ。Hさんによれば「残業は毎月100時間を超えていた」そうです。

朝はコンビニのパンかおにぎり、昼はカップ麺、夜中に帰ると「疲れすぎてすぐに寝付けない」と、いつしか酒の力を借りるようになります。気づけばワインを一晩で2本空けるのが日課になるほど。そんな生活が、実に7年間も続いたのです。

いくら年齢が若くても、これでは体に良いわけがありません。働いても、働いても変わらない現実に、Hさんはいつしか精神的に鬱状態に陥ります。食欲がなくなり、皮膚や肌は荒れ放題。健康に不安を覚え、病気こそ発症しませんでしたが、入社当時の溌剌とした明るいHさんとは別人のように変わり果てていきました。「このままでは自分は終わってしまう」。悩んだ末に、Hさんはエンジニアになる夢を諦め、会社を辞めて海外に行こうと決意します。しかしその矢先、新型コロナによるパンデミックで、海外へも自由に行けなくなってしまうのです。行き場のない中で、Hさんは「自分のメンタルと健康状態をとり戻したい」とSNSなどを通じてきっかけを探します。そんな時に出会ったのが、一般社団法人健康指導師会の資格をもった健康指導師でした。その人がたまたまセミナーで四国に来た際、Hさんは友人を紹介したのが縁で、話す機会を得ます。「子供を流産した友人の奥さんに、葉酸やビタミン、ミネラルをしっかり補充した方がいい」とアドバイスするのを見て、世の中に栄養指導のプロがいることを知るのです。そして、健康指導師から「糖質制限し、栄養を入れたら体は変わります」といわれ、自分が考えたこともなかった栄養や食事の重要性に目覚めていきます。早速グリーン、キャロット、ミネラル、レッドビーツ、ココナツオイル、プロティンやオーガニックコーヒーなどの製品を試したHさんは、わずか一週間で「体が軽くなり、皮膚や肌の血色がよくなった」のを実感します。体の変化と共にメンタルの落ち込みもなくなり「自分と同じような人たちの力になりたい」と健康指導師に“弟子入り”志願するのです。住まいを東京に移し、自身も健康指導師になろうと決意。正常分子栄養学を学び、全国各地へ出張し、健康指導やセミナーを通じて経験を積んでいきます。そして晴れて健康指導師デビューを果たしたHさんがどうなったか。次回は、その活躍ぶりを紹介します。(つづく)

私の栄養スイッチ 2024年2月号PDF